2016年2月『The更紗展』開催記念
 2015年10月(2016年2月掲載)
マップ

1、インドビザ


ヒマラヤ山脈にあるネパールは、仏教文化と山村の古い文化が残っていて魅力的だ。そう思って夏にネパールを周回する計画を立てていた。しかし、首都カトマンズ近郊で4月末に、M7.8の巨大地震が発生し、約9千名の死亡者を出す大惨事があった。道路が寸断され、復旧には数年かかるだろう、と判断して計画を中止した。

それならば、以前から行ってみたいと思っていたスリランカとインドの東側コロマンデル海岸に行こうと計画を変更した。ところが不幸は重なるもので、5月にインド南部で、道路のアスファルトが溶ける程の熱波に襲われ、住民2千名が死亡する事件が発生した。住民が死亡する程の暑さに、果敢に「ダイエットが出来る」と能天気に飛び込んで行く勇気もなく、「干からびて死ぬのは嫌だ」とまたしても計画は中止。連続して天災が我が身を際どく通り過ぎてゆく運勢に悪い予感が走る。もしや次は悪霊に呪われ、出掛けると災難に出会うのでは・・・。こんな時はジッと自重するものだ。

そんなわけで、だらだらと毎日犬や孫と戯れて過ごし、夕食に美味い肴で酒を飲むのを楽しみに毎日を過ごしていたが、そうこうするうち秋風を感じ始めた頃、 「旅が俺を呼んでいる!」 再びムズムズと放浪癖が沸きあがり、急遽スリランカとインド東海岸に出掛ける事と相成った。 目指すは古い更紗(さらさ)。17世紀から起きた大航海時代にインドで唯一作られたこの染物の布は、東インドのコロマンデル海岸から世界中に船で運ばれて行った。日本にも南蛮渡来の布として、戦国大名の衣装や、当時盛んだった茶道の道具を包む袱紗や、茶入れや、茶杓を包む布として珍重された。

古い更紗といえば、不肖私めが以前スマトラ島で幸運にも千裂(せんきれ)古渡(こわたり)更紗(さらさ)衣装(いしょう)を発見いたしておりますので、今度は場所を変えて、再度大発見!の夢を見ているのであります。ハイ。

まずは、更紗染を継承し、いまだに手描き更紗を作っているインドの町・スリカラハスティを訪れる事、その上で、古い更紗を追い求めてインド、スリランカ各地の骨董屋を物色する予定なのである。

旅行の前には相手国の入国ビザが本来必要だ。最近では旅行客数の増加促進のために欧米や中国、韓国など世界の多くの国はビザの簡素化が進んでいるのだが、インドは、いまだにビザを必要とする国で、旧態依然のその姿勢を頑として変えようとしない。世界で取得が一番難しいと云われている。オンラインで申請をしようとするも、事前の英文の説明文の長さが、まるで長文読解テストを受けているようで、ウンザリして読む気力を失う。 「我々の国は英語能力が高いのだぞ。お前たちの低能力では分からないだろう」と腹の出たインド人がふんぞり返って、威張って言っているようだ。日本語訳があるのでホッとするも、命令調の変な日本語なので、日本人の俺でも意味不明。混血や多国籍者など特殊な人への説明が列記されていることに戸惑う。無視して具体的な作業に取り掛かるも、今度は予想外の質問に驚く。両親の名前や国籍の項目もある。死んだ人の事を今更書いてどうするんだ? 更に、本人の身体的特徴を記入する項目まである。 「私は胸が大きいです」とか「私は足が短いです」とかを書けと云うのか?それを見て係官が、「そうだ、フム、フム、そうだな、間違いない」とかいって確認したいのか、インド人!

質問項目がなんと70カ所もある。こんなに項目が有れば1つ位間違うのは当然だ。1つでも間違えば冷酷にも受け付けを却下される。 「それでもお前は我がインド帝国に来たいのか、頭(ず)が高いぞ」と高圧的にしか思えない。2度却下の末、自力入手を諦め、代行サービス業者に申請依頼してどうにか取得したが、インド人の態度は何処へ行っても横柄で毎日腹を立てている。俺だけではない。長年、インドに仕事で出掛けている知人のデザイナーも表立っては言わないが、 「インド人は約束を守らないし、お金に汚く嫌いだ」と内輪では時々本音を言う。

「嫌いなら行かなければ良いだろう」と言われるが、世界の染織の発祥地・インドは、今でも時代の先端を行っている。布に興味があればどうしても行かざるをえないのがインドだ。インド人は嫌いだが布は好きだ。しかし、一つでも良い所があるので、インド人よ、大目に見て許してやろう。そう決めた。

一方、スリランカ入国は今回初登場だが、ビザ申請も易しく、オモテナシの気持ちが感じられて全く問題なしだ。ヨシヨシ。

そんなことで、古い更紗の布を求めて一人、スリランカ、インドへふらりと23日間の日程で出掛けて行くのだ。


2、ゲストハウス
 

スリランカは人口2000万人で、北海道より一回り小さな国だ。多数派のシンハラ人と少数派のタミール人が長年対立していたが、2009年に内戦が終結。テロの心配もなくなったので、のんびり布探しが出来る良い機会だ。スリリングな辺境を得意として歩いている俺にはスリランカなら、 「な〜んだ、ただの観光旅行ではないか」と一部の方には言われるかもしれないが、布が有ればどこでも構わないのであります。観光地であればなおさら結構、1度に2度楽しめるのであります。

スリランカの旧名はセイロン。この国は古くから紅茶の産地として有名だが、ここは仏教の権化みたいな国なのだ。紀元前にインドから仏教が伝わり、後にここからミャンマー、カンボジアへと伝播した聖地である。現在もその信仰心が国民に深く浸透している仏教国だ、と今回調べて初めて知った次第です。


信仰心が厚い国民だから、決してボロだからと言って貴重な布を捨てたりする事もないだろうし、止むに止まれぬ事情で骨董を手放す事があれば、骨董屋の隅に大事に仕舞い込まれているだろう。その大事な布を探し出し、同じ仏教徒として秋田に運んで、手厚く扱うつもりであります。

ホテルは、旅の前にネットで選んで決めている。現地で見て決める時間が勿体無いからである。今回は渥美清の寅さん映画の影響を受けて、心の触れ合いが出来る、小さくて、安くて、評価が高いという点を基準に決めた。小さくて、安いのは簡単に決まるが、評価が高いという項目で問題が起きた。利用者の感想・レビューがどうもアテにならからだ。 「満足度100パーセント、完璧、何処にも見当たらない」などと作為的と思われるものがある。これは参考にならない。それより、せっかく苦労して選んだのに期待外れだった、というレビューの方が大いに参考になる。この時とばかりに恨みを晴らそうと、 「部屋が汚く寝られなかった、接客最低、価格暴利、食事が不味すぎ」 などと痛烈にコメントしていて参考になる。

そうして念入りに調べて選んだつもりだったが、行ってみると値段が安い分どこも市街地から遠く離れた場所にあり、探すのに難渋した。中にはゾウが住む国立公園の森の近くだった所もあった。辺鄙な場所だから当然、価格が安いのです。もし夜に出掛けると迷子になって戻られない場所ばかりで歓楽街に出掛ける事は一度もなかった。無駄金を使わなくて良かったが。

泊まり客が少ないのでディナーも近くの店から買って来て、皿に移し替えて出していた。さらに、ゲストハウスだから困った事もあった。 深夜にコロンボに到着して、空港からタクシーでノルウェー人が営むゲストハウスに向かった。日本の様に地番地名がはっきり区分けが出来ていないので詳しい場所が分からない。規模が小さいので知名度もなくドライバーも知らない。深夜で人影もなく尋ねる相手もいなかった。この時は不運にも全市停電になって看板も見えなかった。どうにかゲストハウスに辿り着いたが、今度はドアが閉まっていた。親切にドライバーが大声で叫んでくれたが返答なし。熟睡したのかと思い、今度はドアーを強く何度も叩いた。暫くすると物音に気が付いた隣の家からオーナーが出て来てようやく迎えてくれた。インターホンを押せば私の部屋に繋がる仕組みになっていると言っていたが、真っ暗でインターホンなど見えません。小さい規模だから従業員も少ないし、宿直も居ないのだ。部屋は北欧センスで、綺麗で良いのだが、何かがあった時にはトラブルになるのです。  
小さくて、安くて、評価の高いホテル選びは、オーナーや家族と親しくなれるが、期待したほどの効果もなく、どれも値段相応の一長一短だった。 <寅さん>の様に簡単に安くて、良い宿は見つからないものです。


3、仏教遺跡と布探し
 

スリランカ各地を電車やバスを使って回った。 紀元前3世紀から1000年間仏教が栄えた町・アヌラーダプラと舌を噛みそうな町から訪ねた。世界遺産に指定されているだけあって立派な仏塔や寺院が沢山ある。勇んで入場しようとしたら、帽子とサンダルを脱げ、と係員に注意された。灼熱の炎天下です。「熱中症にでもなればどうするのだ」と言いたかったが、言葉も分からないし、この国のルールだからと諦めて従った。

頭も暑いが石畳の上を素足で歩けば足の裏が熱く、アッチッチ、アッチッチとピョン、ピョン、カエルが飛んだ様に歩く。止まれば熱いので、顔を上げて仏塔を見るゆとりも無く、必死に木陰や日陰になりそうな場所に向かってピョン、ピョン。他の観光客(多くは中国人ツアー客)も同様に奇声を発しながらピョン、ピョンと飛んで歩いていた。これは修行僧がする火渡りの修行です。現地人は、と見ると、平然と何事もなく、にこやかに話しながら歩いているではないか。足の裏に熱さを感じない特殊な薬草でも塗っているのか、と疑ったが、どうも鍛え方が違うようだ。スリランカ人にとっては、修行僧のする火渡りの修行は容易いもので修業にはなりません。信仰心の厚さが違うのです。

余りの暑さに耐え切れず、観光は夕方に、と切り替える事にした。 中世の都があった町・シギリヤに行った時のこと。宮廷の遺跡が巨大な切り立った岩の上にある。中腹の岩窟(がんくつ)に、フレスコ画で描かれている美人画があり、シギリヤレディーと呼ばれ、スリランカを代表する観光名所だ。美人画と聞いて、老体に鞭打ってシギリヤレディーに会いに行く事にした。日頃、スポーツジムで鍛えているつもりだが、 寄る年波に勝てず、垂直の石段を登るのはキツイ。多くの中国人ツアー客に混じり一段一段登って行くのだが、途中で暑さと疲労で頭がフラフラするので、休み休み登って行った。「ハァー、ハァー、ゼェー、ゼェー」を繰り返しながら登る事40分。どうにか中腹のシギリヤレディーが描かれている岩窟に到着した。

写真を撮ろうとしたら、そこで体力の限界、動けなくなってしまった。屈んで休んでいたら、突然フワーと、何か気持ちの良い夢を見てしまったのです。シギリヤレディーに誘惑された夢でも見ていたのか。気がつくと周りに人だかりが出来ていました。中国人が何か言っています。手に持っていたはずのペットボトルもタオルもメガネもカメラも、どれも辺りに散らかって、意識はボーと、体は動けない。どうやら、気を失って岩に顔をぶつけたらしい。手や顔面から血が流れていた。

「あなたは何人か?」と聞いてくる。
「日本人です」 、「仲間はいるか?」 、「一人です」
と虚ろ(うつろ)に答えているうちに、中国人が親切にも塗り薬を持って来て、顔に塗ってくれました。

日頃、中国人ツアー客といえばどこでも大声を上げてうるさいとか、マナーが悪いとか、食物をどこへでも捨てるとか、悪いイメージしか持っていませんでしたが、このご恩を忘れず、暫くは近隣友好の謝々精神で接しよう、と心を切り替えたのであります。

顔面の頬の傷は、シギリヤレディーのキスの後の様に残って、鏡を覗いては記念になったと一人悦に入っていたのだが、更紗の布はどこへ行ってもありません。しかし、どこの骨董屋でも「キャンディに行けばある」と教えてくれました。スリランカ第二の都市キャンディに期待しました。有りました、有りました。端切れですがついに見つけました。立派にケースに入って高い値段を付けて有りました。値段交渉の末、遂に6点ほど持ち帰る事ができました。これもシギリヤレディーのお陰かと深く感謝した次第です。

メデタシ、メデタシでした。  

 

4、満月の日

スリランカには奇妙な日がある。満月の日だ。おめでたいこの日は、なぜか禁酒日なのだ。日頃、飲酒運転の取り締まりをしない警察も、この日ばかりは厳しく取り締まるそうだ。

「満月かどうか毎晩空を眺めているのか?」 、「お月様に雲が掛かれば分からないではないか?」 、「それともニュースで皆さん今日は満月の日です、お酒を飲むのは止めましょう!」とでも言うのかと疑問を感じた。  

ガイドに聞くと、「その日は休日になるのでみんな知っている」というので、なるほど納得した。秋のこの季節、日本では満月を眺め、「秘伝」の枝豆でも食べて、冷えた日本酒をグラスに注いで一献傾けるのが風情と言うものだが、この国は風情を持ち合わせていないらしい。  

古くからの仏教は、教義で飲酒が禁止されていた。日本に入ってきてからは、日本人の僧が酒好きで、「飲酒自体は悪い事ではなく、飲み過ぎるのが悪い事なのだ。少しなら飲酒は体に良い」と教義を修正したらしい。それで酒を般若湯(はんにゃとう)と呼んだという。般若とは知識、知恵の事で、酒を飲むと良い知識、知恵が湧き出すお湯という意味だ。そうです。飲むと素晴らしいアイデアが閃いてくるが、素面(しらふ)では面白いアイデアは思い浮かばないものだ。般若湯と命名した日本の高僧は素晴らしい。一体、誰が命名したのだろうか。お礼に一升瓶持ってお墓参りに行かなくては、と思った次第です。

前日、ビヤバーでビールを飲んだら美味かったので、翌日も出掛けた。当日は、月一度の満月の日だった。前日は超満員の盛況ぶりだったが、その日は誰も客が居ないので、ボーイ達はのんびりテレビを見ていた。試しにビール下さいと言ったら、笑ってノーノーとかわされた。外国人だから良いだろうと食い下がったが、例え外国人でもノーと断られた。一流ホテルでも今日はダメです、と言われて、ビールを飲むのを諦めた。家で飲んだら分からないではないかとガイドに聞いたら、「たしかにそうだが、ビールを買い置く習慣がない」と言う。スリランカはバス代や電車代がタダ同然の料金なのにビールとタバコの値段は日本と変わらない程で他の物価に比べて異常に高い。タバコを買いに行けば、何本かと聞かれ、一箱下さいと言えば、20本かと確認され、30ルピー×20本=600ルピーと電卓で計算する。

酒屋にビールを買いに行くと鉄格子があり、そこで「ビールを下さい」と言えばドアを開けて倉庫に入れてくれる。中に入ってビールを選んでお金を払うと、ドアを開いて外に出してくれるシステムだ。何か違法なものを闇で買っている気分になる。酒屋は檻の中での商売なのだ。 「スリランカは月に一度の満月の日は飲酒禁止だそうだ」 とマダムにメールを出したら、いつもは 「メールを見た」 としか返事が来ないのにこの時ばかりは、 「それは良い習慣です。我が家でも見習い、今後、週2日は禁止にします。絶対守ってもらいます。それで私のストレスも半減します。」(原文のまま) と速攻でメールが返ってきた。

どこの国でも週に2回も満月の日はありません。月に一度がなんで週2日になったか理解できないが、そこが隠居人の弱い立場です。安保法案を通した安倍首相には逆らえますがマダムの命令には逆らえません。結構です、従います。飲酒ならまだ我慢できます。そのうちに、 「顔を見るだけでストレスが溜まります。週2日は家に帰らないで下さい。」 とでも言われたらどうしようか?と心配になりました。

飲みたければマダムの目の届かない海外に出掛ければ良いのです。そろそろ次は夢の海外半定住生活を考える時期が来たようだ。目星を付けている候補地は色々あります。


5、本場更紗染
 

インド第4の都市・チェンナイから、更紗の里スリカラハスティに出掛けた。

チェンナイはかっては「マドラス」と呼ばれイギリスの東インド会社があった場所だ。現在では人口500万人の巨大都市に成長し賑わっている。チェンナイの巨大なバスターミナルで、時刻や行き先を何度も確認してからバスに乗り込んだ。インドでは簡単に相手を信用してはいけない。だいぶインドルールに慣れてきたので慎重に行動する様になった。

チェンナイから、オンボロバスで3時間半掛って、スリカラハスティに到着した。一見して高層ビルも無い、土埃が舞う田舎町だった。のどかだと思ってバスを降りようとすると、バスに乗り込もうとする多数の客が強引に突進して来るではないか。客が先に降りてから乗るのが世界共通ルールだと言っても、この連中にはきかない。ルール無きルールの洗礼に出くわした。田舎でも熾烈(しれつ)な競争に慣れているのか? 

どうにか当地に足を踏み入れ、トゥクトゥク(自動三輪車)でホテルに到着した。インドでは田舎町は敢えて高級なホテルを選んでいる。値段も知れているし、安ければ悲惨な目に合う事必至だからだ。

スリカラハスティは16世紀から更紗を作っている所として染織工芸関係者には知られている町だが、インド人にとっては、ヒンズー教の有名な古い寺院の町として知名度が高い。インド各地から沢山の参拝客がバスで訪れる門前町だ。

早速、歩いて町の中心部を観察する事にした。1時間も歩いたら町の概略が掴めた。 人がワヤワヤ、ウジャウジャいる。狭い道幅に車やトクトクや野良牛が、ゴチャゴチャになって、クラクションが騒音をがなり立てていた。道端には、押し売りの子供や乞食などが、参拝客や外国人と見ると、すぐに手を差し出し、金をくれと寄ってくる。これぞインドです。

明日から更紗を買い付けに行こうとしたその夜にマダムからメールが入った。 「古い布 、汚い布もういりません 。4階の段ボール部屋に入れられて終わりです 。お父さんのコレクションが増えるだけです 。綺麗なものだけ見ていたいです。」と、先制攻撃を受けた。 「これは俺の領分だ、お前の指図は遠慮してもらう。」と格好よく返信しようと考えたが、ここは反撃せずに静かに聞き流すことにした。

翌日からトゥクトゥクをチャーターして更紗工房を回った。工房と言えるのは僅かで、多くは薄汚れた家で細々と布を広げて描いている様子で、部屋いっぱいに広げた生地が出来る前から汚れるのではと心配するほどだ。どこも珍しい外国人の訪問を喜んで受け入れてくれた。また、集散業者もいて訪れた。沢山の商品を見せてもらったが、気にいるものは無かった。しかし、探せば見つかるもので、数軒きちんと綺麗に管理して造っている工房があり、そこで商品を選んだ。

作る工程を簡単に紹介すると、初め白い木綿布を牛乳とミロバランと云う植物の実を煮た煮汁に漬け込み、足でよく揉む。乾かした後に布を広げて鉛筆やチャコで直に文様を描き込む。文様に合わせて、竹に木綿を巻いたペンで染料を滲ませ、布に色付けする。乾燥後、川で洗って乾かし完成。大きな布で3カ月ほど掛って完成する。大体こんな具合でした。

16世紀から更紗を継続して作っていると思っていたら、途中で中断して60年前から再興したそうだ。なので、ここには古くても60年前の物しか無い。中断期間を聞いても曖昧な返事しか返ってこない。期待外れだ!もっと調べるべきだった。ガッカリした。

それでは本場更紗の里を名乗るのは如何なものかと注文が付くが、インド広しと言えども、草木染の手描き更紗はここでしか作ってないから外れてはいない。他はプリントで作っているのだ。 ここで「本場」などとは誰も名乗っていない事に気が付いた。俺がついつい「本場大島紬」とか「本場結城紬」とか言うように言っただけだったのだが、ここで改めて「本場更紗染」と命名する事にした。

復興当初から制作している老人が語っていた。 「昔は今の物よりも何度も繰り返し染めて、丁寧に手間暇かけて作っていた」と、さらに、 「ここ10数年前からは化学染料を使い出し、安く、手間を掛けずに作る様になった」と嘆いた。

それなら50年前の物を集めようと決めたが、選ぶとどれもヒンズー教の神様ばかりなので、 「神様以外は無いの?」と聞いたら 「ない」と言う。これはガネーシャでこれは何とかで、どうしたこうしたと絵の説明をするも、言葉が分からないのでウンウンと聞いていた。

ヒンズー教の神様は主な神様だけでも40人?以上もいるし、それに準ずる偉い神は無数にいる。もともと手描き更紗は、ヒンズー教やイスラム教の教義を広める教本の役割として、ここで作られた物だ。象の上に胡座(あぐら)をかいて乗っかった神様は、「私は偉大なのだぞ〜」とでも語るのかと興味もあるが、触らぬ神に祟りなしで、飲酒禁止など強要されそうだから遠慮する事にした。

 

ヒンズー教は、原則飲酒禁止、ベジタリアンだ。泊まったホテルのレストランもベジタリアン料理だけでビールも無い。それに、館内、敷地内全域禁煙地帯と、病院みたいなホテルです。飲むなと言われても、37、8度前後の炎天下の下、汗を流して歩き回ってビールの無い世界は考えられない。それに肉でも食べなければ体力が持たないではないか。

チャーターしているトゥクトゥクの運転手に、肉が食べられてビールが飲めるレストランに連れて行く様頼んだ。まだ6時前の明るい夕方だった。

案内された場所は、場末の奥まった小路を入り、倉庫らしき建物があったが看板もなく、灯りは最小限で、薄暗く怪しげな雰囲気が充満している場所だった。ここがレストランだと言う。客はおじさんたちばかりで女性客は誰もいない。中は電球1個で薄暗くてよく見えない。

鶏肉料理とビール2本頼んだ。周りの客はウイスキーを飲んでいた。見慣れぬ外人が来たので、運転手に「こいつは何人だ?」と話しかけていた。「日本人だ」と言ったら酔いに任せて、「日本人に会えて嬉しい」と汚い手で握手を求められた。日本人だって1億人もいるので珍しい人種ではないはずだが。それより、ここでは素手で食べるので手が汚れる。やむなく、 「オーオー、有難う」と握手した。

室内は暗くてよく見えない。それでも久し振りのビールにありつけたのが嬉しくて飲んだ。お腹が空いていたので料理もつまんだが、確かに肉の味がした。飲み終えたら早々にホテルへ引き返し、危険を感じて胃薬を飲んだ。 三代目にこの事をメールしたら、そこは売春窟ではないか、と遊郭研究家らしい返信があった。もう少しいれば原色のサリーでも着て、大きな耳輪にジャラジャラの腕輪をはめ、三段腹姿(勝手な想像です)のインド人娼婦の姿を見られたかも知れないと残念に思った。

そんなことで僅かばかりですが、選りすぐった貴重な古い布を本場更紗の里から持ち帰ったのであります。更紗の原点はここに有りと言える(怪しいが)貴重な、インド異様空間体験ではなく、インド更紗の旅でした。
 

 

 From "Retirement" 小松正雄
 
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